人 間 の 科 学
HOMEブログ本館地球と宇宙東京を描く美術批評動物写真集日本文化プロフィールBBS



幻聴:内なる声と認知行動療法


幻聴や幻視など幻覚と呼ばれるものは、かつては精神病理的現象とりわけ分裂病(統合失調症)に特徴的な症状であるとされていた。だが、今日においては、うつ病患者、躁病患者、癲癇質者にも幻聴はみられ、普通の人にもおきることがわかっている。なかには、15年、20年と幻聴に苦しみながら、それ以外に精神病理現象の見られない人々が多数いることもわかってきた。

頭の中で突然第三者の声が聞こえ、それが自分にとって攻撃的な内容だったりすると、誰しもパニックに陥ることだろう。昔なら、そういう症状には分裂病のレッテルが貼られ、普通の人々には理解してもらえないことが殆どだったが、最近では、幻聴に悩む人々がネットワークを作り、相互に経験を話し合うことで、幻聴の苦しみを乗り越えようとする動きが現れてきている。

そんな幻聴を巡る最近の国際的な動きについて、ニューヨークタイムズが長文の記事を紹介している。Can You Live With the Voices in Your Head? : By Daniel B. Smith

イギリスでは、幻聴に悩む人々を支援する草の根団体HVN(Hearing Voices Network)が地味な活動を繰り広げている。この団体の指導理念は、幻聴を病理現象として片付けず、幻聴に悩む人が幻聴と共存しながら社会生活できるような環境を作ろうというものだ。幻聴者には無論、真性の精神病者もいるが、彼らをも包み込んだ形で、ネットワークを形成しようというのである。

HVNが幻聴への対処法として最も期待しているのは、認知行動療法と呼ばれるものである。これは薬餌療法で成果を得られない人のための、行動科学的な対処療法で、患者の心理面、行動面へのアプローチを重視するものである。いきおい、カウンセリングの比重が高い。

フロイト自身が、精神分析的手法は精神病患者には効果がないといったにかかわらず、英米圏においては、一時期、精神病にフロイト的アプローチを取り入れることが盛んに行われた。レイングなどはその最たるもので、分裂病は人間関係の病理であるといったほどだ。

その反動もあって、英米圏の精神病治療の現場においても、カウンセリング中心の治療は邪道であるとされるようになり、今日においては、薬餌療法中心へと旋回している。だが、それのみでは解決できない部分が多く、精神病ではないのに幻聴に悩む人々は、蚊帳の外に置かれることになりがちだった。

認知行動療法 Cognitive Behavioral Therapy は、幻聴の治療におけるそうした隙間を埋めるためのものとして、大きな期待をもたれるようになったものだ。

だが、薬餌療法や認知行動療法を以てしても、幻聴が改善しない人は数限りなくいる。そのような人々は、どう生きていけばよいのか。

幻聴といっても、その内容は様々である。幻聴が存在感を帯びた第三者の声として現われ、それが自分を非難したり追い詰めたりするような内容であるとき、人は耐えがたい苦痛を感ずる。分裂病患者に現れる幻聴は、そのように破壊的なものが多いといわれ、患者は自傷他害の行動に駆り立てられたり、時には自殺に走ったりする。幻聴を伴う分裂病患者のうち、三分の一は自殺の可能性があるともいわれる。

その対極には、自分の心の中に浮かんだ想念が声となって現れることもある。この場合には、自分にとって破壊的な内容のものではないことも多い。

幻聴に悩む人々は、色々なレベルの幻聴を聞いているという。彼らが耐え難いのは、幻聴が不快な内容のものであり、自分がそれをコントロールできないことだ。逆に、幻聴が不快な内容のものではなく、自分がそれをある程度コントロールできれば、悩みは深刻なものには至らない。場合によっては、幻聴に対してこちらから話し返すことによって、ストレスを和らげることもできる。

だが、普通の人間にとって、幻聴に向かって話しかけている人の姿は、薄気味悪く映るものだ。そこで、HVNでは、幻聴に話しかけるときには、携帯電話を耳に当てなさいと指導しているそうだ。

HVNの活動は、いまやイギリスを越えて世界各地に広がりつつある。その理念的指導者マリウス・ロンメ Marius Romme は、幻聴者にとっての今日の世界は、同性愛者にとっての1950年代の世界と同じ状況だという。

比喩の是非はさておいて、彼らは幻聴者が幻聴と共存しながら生きていける社会を、当面の目標として目指しているようだ。






HOME脳と心の健康






作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである