人 間 の 科 学
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人間の恐怖感


先稿「不安が脳をとらえる時」のなかで、不安発生のメカニズムとその病理現象について考察した。不安は危険に対して身構え、身の安全を確保するために、人間が生得的に備えている作用ではあるが、ときに脱線して不安神経症とか強迫観念とか呼ばれるものを引き起こす、これが一応の結論だった。

恐怖感は、危険のシグナルとしては、不安の延長にある情動と位置づけることが出来る。だがそれは不安の延長というには、あまりにも強烈な情動である。我々は切迫する危険にさらされたり、大惨事が迫り来ることを実感するとき、全存在が震撼するような恐怖感に陥る。それはただに精神の平衡が突然乱れるというにとどまらず、心臓の激しい鼓動や、瞳孔の拡大、そして筋肉の硬直といった身体的な症状をともなう。いわゆるパニックに陥るのである。

こうした情動の激しさから、我々の日常心理においては、不安と恐怖はレベルを異にしたものと考えるのが普通である。不安は未来に対する身構え、恐怖は眼前の危険に対する反応といったふうに、分けて考えているのではないだろうか。

だが神経科学の領域においては、不安と恐怖は質的には同じようなメカニズムによって発生するものと考えられているようだ。両者とも脳の深部にあるアミグダラという領域がかかわり、これを中心に刺激と反応のやりとりがなされる。不安や恐怖をやわらげるために、アミグダラに働きかける一定の物質が功を奏することもわかってきているらしい。

だがそれにしても、人間はある種の刺激に対して、何故かくも強烈な情動によって答えなければならないのか。危険を回避するという目的からは、通常の不安反応でも十分足るはずではないか。恐怖感にとらわれた人間は、場合によっては行動できないほど混乱した状態に陥るのであるから、自己防衛という点ではむしろマイナスに働くことだってありうる。

この疑問については、まだ十分納得できる説明はなされていないようだ。ただ恐怖感は、差し迫った危険に対して人間を強制的に身構えさせる。反撃するにしても逃げるにしても、とっさの反応を人間に仕向ける効果がある。無論恐怖のあまりへたり込んで、何の反応も出来ない場合もあるが、多くの場合は生存をかけた一か八かの行動に駆り立てるエネルギーを人間に与えるのではないかと、推測されている。

恐怖に駆られた人間は、平常時に比べて、同じ打撃に対しても、より少ない苦痛しか覚えないという。戦うための準備反応といえなくもない。

また人間は、他者の情動のなかで恐怖感をもっとも強く感じ取るという。いろいろな情動を表現した他人の写真を見せると、恐怖の表情に最も早く反応する。たとえ写真がさかさまになっていたり、相対的に見づらい状態にあったとしてもそうだという。

これは社会的な動物としての人間が、仲間の恐怖感を通じて、危険を察知しようとするメカニズムだといえなくもない。

これらのことから、恐怖感は生存にかかわるギリギリの危険に直面したときに、なんとか生き残ることができるようにと、自然の巧緻が人間に組み込んだプログラムなのだと、いうことができるかもしれない。

ところで、誰しも生涯の間に、激しい恐怖感を体験することは、一度ならずあるだろう。一昔前までは、戦線に送られて生死の境をさまよった人々が、恐怖の何たるかを身にしみて知っていた。最近ではそうした激しい恐怖感を生じさせる危険は日常的には少なくなったといえ、交通事故や不慮の災害などに巻き込まれるケースは絶えない。そこまで深刻な恐怖感でなくとも、自分なりに激しい恐怖感を覚えることは、ありうることだ。

筆者自身についていえば、普段より不安や恐怖とは縁遠い生活を送っているが、唯一つ高所に上るのが苦手なことから、それがもとで恐怖感に駆られることがある。

あるとき、大きな屋内体育施設を視察していて、天井裏に上ったことがあった。屋内体育施設の天井付近には、キャット・ウォークと呼ばれる点検用の通路が設けられているのだが、何かの弾みで、そこに上ってしまったのだ。

そのキャット・ウォークは文字通り猫が歩くほどの狭い吊橋ようのもので、床は針金で出来ていた。だから下の空間が丸見えなのである。床からキャット・ウォークまでは30メートル以上の高さがある。普通の人でもいい気持ちがしないだろうに、筆者の場合は高所恐怖症なのである。

下を見ないようにして高所恐怖をごまかし、渓谷に架けられた吊橋を渡ったことのある筆者は、そのときも何とか渡れるだろうと、腰を低くし、両手でしっかりと吊り橋のロープを握り締め、恐る恐る足を踏み出した。ところが案の定3分の一ばかり進んだところで、突然得もいわれぬ恐怖感に取り付かれたのである。見ないようにしていた下の空間が目に入ってきたのがきっかけだった。

筆者の身体は突然硬直し、激しい眩暈に襲われた。そこから先は、進むことも返すことも出来ず、ただその場にうずくまったままの状態に陥った。完全なパニックである。こうなると、自分ひとりの力ではどうにもならない。

こんな筆者のさまを見た人は、筆者が何故そんなに恐怖したか、あるいは理解できなかったかもしれない。しかし恐怖感というものは、合理的にわりきれないほど強烈なのである。

人の手を借りてやっとの思いで地上に生還した筆者は、自分は鳥はもとより猫にもなれないと、つくづく思ったものだ。






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