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ヒューマン 何故人間になれたのか



NHKスペシャルが「ヒューマン 何故人間になれたのか」と題して、現生人類の進化の過程を4回にわたって放送する。第一回目は「旅はアフリカから始まった」。現世人類の祖先がアフリカに登場した経緯についての報告である。

現生人類の祖先は約20万年前にアフリカに現れた。どのようなメカニズムが働いて彼らが誕生したかについては、詳しくはわかっていない。わかっているのは、彼らが現在のアフリカ人の直接の祖先だったということである。

彼らの生活ぶりをうかがい知ることのできるデータが、最近アフリカで相次いで見つかった。番組はそのひとつ、南アフリカのプロンボス洞窟で発掘された化石を紹介していた。それは10万年前の地層からでてきたもので、酸化鉄の塊と大量の巻貝だった。酸化鉄は赤い塗料として口紅などの用途に、巻貝は小さな穴をあけて糸を通し首飾りとして用いたらしい。

一見では、それらは装身具の化石だ。しかし我らの祖先にとって、装身具は単に身を飾る用途のほかに、仲間との連帯のシンボルとして用いられていた、と発見者のペンシルウッド博士は推測していた。

仲間と連帯して助け合うというのは、人類に特有の能力だ。人類に一番近い生き物であるチンパンジーでさえ、自発的に他の個体に協力するという行動は見られない。乞われて初めて手を差し伸べる。ところが我々人類は、人が困っていたり、悲しんでいたりすると、求められもせずに自分から手を差し伸べる。こうした連帯感と協力関係のあり方が、人類を社会的な動物として育て上げ、過酷な自然環境や生存競争を超えて生き延びさせるうえで、基本的な推進力になったのではないか、そういうのである。

人類が仲間同士で協力しあうという習性を発達させたのは、二足歩行と関係がある、とカレン・ローゼンバーグ博士は推測している。二足歩行によって、人間の骨盤は歩くのに適した形態に変化したが、それによって、産道が狭くなり、出産が困難になった。それをカバーするために、人類は子供を小さく生んで大きく育てるという方向に進んだ。小さな子供は手厚い保護が無ければ生きてはいけない。そんな子供を守るためにも、人類は助け合うという習性を発達させたのではないか。

人類の持つこうした傾向は、相手の感情を読み取るという能力にもあらわれる。人類ほど仲間の顔色を気にし、その変化に微妙に反応する生き物はいないのだ。

人の表情に敏感に反応するという動きは、脳にもビルトインされているという。視覚野の損傷によって視覚を失った人は、目に異常がなくても外界の対象を見ることができない、ところが人間の表情だけはかすかながらも見ることができる、それは視覚野の奥にある扁桃体と云う部分が、人間の表情に反応するからだ。

アフリカに生きていた人類は、約7万8000年前に起きたインドネシアのトバカ火山の噴火によって絶滅の危機にさらされた。噴火によって地球の大気圏は膨大な火山灰に覆われ、地球環境が激変、アフリカの大地は急速に砂漠化して、生存にとっては厳しい環境に直面したのだ。しかし人類は連帯の規模と範囲を拡大することにより、その危機を乗り切った。そして人類の一部はアフリカを出てヨーロッパへ、更にはアジアへと広がっていった。

連帯の感情や行動様式は現在の我々にも受け継がれている。我々は一方では戦争を起こして殺し合うこともするが、その戦場にあっても、人間性を完全に失うわけではない。たとえ敵であっても、その笑顔は見る者の感情を和ませる。番組はイラクの戦場において生じた、笑顔をきっかけにした集団間の和解の場面を興味深く映し出していた。

それにしても、人間には互いに助け合うという連帯の傾向と、互いに殺し合うという敵対の傾向とが共存している、という動かしがたい現実に、改めて感嘆させられる。何故人間は連帯を徹底させて、敵対を抑制してこなかったのか、何故人間は殺し合うことに熱中してきたのか、この問いは簡単には答えられない。






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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013
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