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言語と発声器官:人間の顎と喉頭部の進化


言語を操るためには高度な知性が必要なことはいうまでもない。目前に展開する対象を弁別することに始まり、対象を構成する要素間の関係やそれらの生起や因果関係についての論理的な思考過程があってこそ、言語は可能となる。というより言語とは、思考の過程そのものが知覚しうる形をとって現れたものなのだ。

言語にはもう一つ、それを可能にするための生物学上の条件がある。発声器官が言語の発音に適した構造をしていることである。人間が言葉を話しているとき、口蓋の周囲には複雑な変化が生じている。基本的な音である母音についてみれば、まず声帯を震わすことによって音声を生じさせ、その音声が気道を通過するときに、気道の形態の相違に応じて、明瞭に分節化されたいくつかの母音に分かれる。気道の形態に影響を及ぼすのは、舌と気道そのものとの相互の位置関係である。

専門家の実験によれば、人間の気道と同じ構造を持つプラスチック製の模型を作り、それにただの曖昧な音を送り込むと、その音は模型の構造に応じて、人間が発生する通常の母音と同じ音に変化する。音楽におけるような単なる高低差というのではなく、立派に「あいうえお」と聞こえるのである。

この基本的な過程をベースにして、舌、あご、歯茎、歯、唇を相互に組み合せることによって、様々な子音と分節化された音韻が生まれる。

母音と子音の組み合わせからなるこの音韻の体系は、民族によって多少の相違はあるが、その発声のメカニズムは人類共通なのである。

人類の祖先はいつごろから分節化された音を、したがってコミュニケーションの道具として言語を話すようになったか。これを解く鍵は、人間の喉頭部の構造にある。

チンパンジーとボノボは人間にもっとも近い類人猿として、その知能も非常に高い。アメリカの動物園にいるカンジという名のボノボは、1000以上に上る英語の単語を覚えており、人間の会話をもある程度理解する知能を備えている。しかし自分では分節化された音を発することが出来ないので、人間と会話をすることまでは出来ない。

その原因はボノボの喉頭部の構造にある。ボノボは顎が前に突き出ており、水平方向に平べったい構造をしている。そこに収まっている舌も水平方向に発達しており、また気道も広い。このような喉頭にあっては、舌と気道を組み合わせて、発音に適した複雑な形態を作ることが出来ない。したがって声帯で発声された音は明瞭に分節化されることが出来ずに、ほぼ発生時の音のままで外に出てしまうのである。

これに対して人間は顎が後退し、気道も垂直方向に長い構造になっている。また舌は丸い形をしているので、舌の根元を使って気道に複雑な形の変化をもたらすことが出来る。こうして分節化された音を発することが出来るのである。

人類の祖先がアフリカで生まれたのはほぼ600年前のことだったとされるが、330年前のアウストラロピテクス・アウレンシスまでは、まだ顎は突き出たままだった。だから彼らが分節化された音を発することのできた可能性は非常に少ない。おそらく言語という点では、チンパンジーと余り異なるところはなかったに違いない。

160年前に生きていたホモ・エレクトゥスは、顎が後退して現代人に近い喉頭の構造を持つようになった。彼らが言語を話したかどうかは非常に疑問だが、少なくともかなり分節化された音を駆使して相互のコミュニケーションを図っていた可能性はある。

人類学者によれば、人間の顎が後退するきっかけは、食生活の変化にあった。生まれたばかりの人類は主に堅い植物を採集して食べていたものと思われるが、やがて柔らかい動物の肉を食うようになった。これには、鋭い石器を武器として用いることになったことが働いた。

動物の肉をはじめ、やわらかいものを食っていると、顎は次第に小さくなる。こうして小さくなった顎が、言語の発話に適した喉頭の構造を可能にしたのである。

ところで人間の顎は今日でも変化し続けている。日本人も、徳川時代には顎の張った人間が多かったものだが、今ではつるっとした顎を持つ人々が増えてきつつある。これは食生活の変化によるものである。こんなに短い期間でも、目に見える変化が現れるのであるから、今後人間の顔つきがどんな風になっていくのか、興味深いことではある。






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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013
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