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精神療法としての祝祭:エーレンライヒ説


精神医学には二つの流れがあって、互いに牽制しあってきた歴史がある。一つは精神の失調の原因を人間関係に求めるもので、これは他者とのかかわり方の失敗が様々な精神症状を引き起こすという考え方に立っている。もう一つは、能の神経組織に原因を求めるもので、遺伝或は何らかの外圧によって脳内に異常が生じた結果精神症状が現れるとする見解である。

一時期は、分裂病(統合失調症)のような精神病を含めて、殆どの精神障害は人間関係の失敗に起因するとする見解が支配的になった。特に英語圏の臨床分野にその傾向は顕著であった。しかし、最近では、殆どの精神障害は、能の器質的な異常に基づくとする見解が支配的である。したがって、治療方法も薬餌療法のような、物質的な治療が中心になっている。

精神障害の中でも、「うつ」は精神的ストレスとの関連が深いとされ、したがって人間関係論が説得力を持つ分野だが、ここでも、ストレスによる脳内の損傷が精神症状を引き起こすのだという、器質的(脳科学的)な見方が中心になりつつある。

だが、人間関係論の見方が完全に下火になったわけではない。最近、祝祭が「うつ」の治療に威力を発揮することをもとに、「うつ」の発症のメカニズムを、近代社会における個人のあり方と関連付けて論じる見方が、バーバラ・エーレンライヒによって提起された。

今後どれくらいの賛同を得られるかは明らかでないが、その説にはうなずくべき部分が多い。エーレンライヒ自ら、自説の概要をガーディアン紙に書いているので、それを紹介してみたい。(時に私見をさしはさみながら)How We Learned to Stop Having Fun : Extract from Dancing in the Street ; A History of Collective Joy By Barbara Ehrenreich ,

バーバラ・エーレンライヒは、「うつ」Depression (20世紀まで Melancholyと呼ばれていた)が大きな社会現象として大量に発生するのは1600年前後のことだったとしている。それ以前にもメランコリーは存在し、ヒポクラテスも注目したほど旧い精神現象であったが、社会全体に広がったのは、わずか400年前のことだったとする。

ピューリタン作家のジョン・バニヤン、ピューリタン革命の指導者オリヴァー・クロムウェル、詩人のトーマス・グレイとジョン・ダン、劇作家のサミュエル・ジョンソンなどは、その早い時期の犠牲者だった。年齢を問わず様々な人々を捕らえ、とらわれた人々は長期にわたり病的な無気力に苦しんだ。時には自殺するものも現れ、人々はこれを英国病といって恐れた。イギリスの陰鬱な気候と身体を動かさぬ窮屈なライフスタイルが、人々の精神を異常にするのだと考えられたのである。

17世紀のイギリスは、歴史的な転換期にあたっていた。産業革命を梃子にして社会の近代化が始まり、従来の中世的な共同社会が崩壊して、近代的な契約社会へと移行しつつあった。

この新しい社会に、人々はどのように適応することを余儀なくされたか。もはや従来のように、共同体的秩序の中で他者と一体的に生きることは許されなくなった。ひとびとは責任ある個人として、契約社会の中を活き抜かなければならなくなる。つまり、社会の中の独立した人格としての「自我」というものが、歴史上初めて登場してきたのである。

この「自我」の登場は、人類の長い歴史の中で画期的な出来事だった。それまで生物的・文化的存在としての人間はいても、「自我」を持つ人間はいなかったからである。自我は社会を構成する原子として、契約社会を成立させるための不可欠の単位であった。デカルトのコギトも、ライプニッツのモナドも、そしてアダム・スミスの個人も、この「自我」をモデルにして登場した、特殊近代的な解釈だったといえる。

「自我」は理想的には、他者の束縛から解放された、自立的で責任能力を持つ個人である。だが実際に社会の中に存在していた人間は、確固たる自我を築けず、また共同体的な保護も期待できず、ただただ他者の目を気にして生きる人々が殆どだった。彼らにとって自我とは、他者の目を通して見られた自分なのである。他者の目とは、契約社会を成立させるために、個々人が最低限行わなければならない役割として、自分に期待されている自我像であり、人間的な触れ合いなどとは一応無縁な、ドライな意識であった。

こんなドライな役割関係の中で行き始めた人間は、歴史上始めて、社会とは距離を置いた、孤立した人間として存在するようになったのである。

「うつ」が襲ったのは、このように孤立した、絶えず他者の目を気にしながら生きる人々だった。これがエーレンライヒの提出した仮説の一つである。彼らは孤立しているがゆえに、共同体の中に住み心地の良い場所を求めることも出来ず、絶えず他者の目を気にしていたから、自分自身の自我と他者の目を通じて見られた自我とが一致しないと感じたとき、精神の平衡を失わざるをえなかった。これが人を「うつ」に追い込むメカニズムだというのである。

エーレンライヒが提出するもう一つの仮説は、共同体的な祝祭や他者との一体感を味わえる様々な気晴らしが、「うつ」に対して治療的効果を有するのではないかというものである。

そもそも中世まで「うつ」が社会問題化しなかったのは、そこでは個人は共同体の中に埋没し、共同体から隔絶した自我が存在しなかったからでもあるが、共同体が用意していた様々な祝祭的な行事が成員を硬く共同体に繋ぎとめ、自分は孤立していないという実感を、人々が持てたことにもよる。

1621年に「メランコリーの解剖学」を著したロバート・バートンは既に、狩、スポーツ、遊びなど集団で行う気晴らしが「うつ」の治療に有効であることを指摘していた。逆に言えば、それらの機会を奪われたことが、人々を「うつ」の餌食にしていたという。アダム・スミスも祝祭が「うつ」からの解放に有益であるといっている。

19世紀の歴史家ヘッカーは、エチオピアで見聞した「うつ」の治療の実際について報告している。誰かが、とくに女性が、「うつ」に陥ると、親戚たちは金をかき集めて、太鼓叩きや笛吹きを雇い集め、しこたま酒を買い込んでは、来る日も来る日も患者を囲んでお祭り騒ぎをする。お祭りは患者を囲む集団全体で行うものであり、一人ひとりは集団への帰属意識を改めて掻き立てられる。この結果、患者は自然と治癒していったというのである。

これは一つには、共同体的なお祭りを通じて患者の孤立感が解消され、他の人々との一体感の意識をもたらすことと、二つには、以上のことを通じて、たとえ一時的にでも、患者を自我の監獄から解放することを意味している。

ヨーロッパ諸国の中でも、「うつ」がもっとも深刻化したのは、カルヴィニズムの文化圏においてであった。カルヴィニズムは、神に対して個人が直接向き合う文化であり、自我は逃げ場がない。であるから「うつ」にも陥りやすく、自殺の率もカトリックに比べ倍も高い。それに対してカトリックは、相対的には、自我と神との間にバイパスを持つ文化なのである。

エーレンライヒは、「うつ」の治療法として、集団的な気晴らしの持つ可能性に期待しているようだ。最後にフリードリッヒ・ニーチェの言葉を引き合いに出して、祝祭の復権を強調している。

ニーチェは個人として生きることの恐怖を組織的に語った最初の哲学者である。ニーチェの有名な言葉「神は死んだ」は、さまざまに解釈されてきたが、要するに、人間がまぎれもなく裸の個人になってしまったことの、苦々しい宣言だったのである。ニーチェは神の不在を、ディオニュソス的な祝祭の復活によって埋めようとした。集団的なエクスタシーには、魂を救済する力があるのだ。






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