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救世主兄弟:臓器移植のディレンマ


臓器移植には免疫という壁がある。免疫の型が合わないと、移植された臓器は強烈な拒絶反応にあって、定着することが出来ない。それ故臓器の移植に当たっては、なるべく免疫が適合する個体から選ばねばならない。

親子や兄弟は比較的免疫が適合しやすい。それでも完全というわけにはならない。ところがこの適合を完全なものにする方法がある。免疫が完全に一致する子どもを生んで、その子から臓器の提供をさせることだ。

受ける側の子にとっては、究極に安全な臓器をもらえることになるから、与える側の子は救世主のような存在だ。そんなところから、兄弟への臓器の提供を目的にして生み出された子を、救世主兄弟というのだそうだ。

人工授精の技術の発展がこのことを可能にした。母親から取り出した卵子をもとに複数の受精卵を作る。この中から移植を受ける子と免疫が完全に一致するものを選び出して、母親の胎内に戻す。こうして生まれてきた子は、免疫の面ではまったく同じ型を持つようになる。

NHKの報道番組は、このような救世主兄弟の一例を紹介していた。(NHKスペシャル「人体"製造"~再生医療の衝撃~」)

骨髄の造血機能に深刻な障害を抱えた女の子のために、両親が救世主兄弟となる子の出産を決意する。生まれてきた男の子は姉とまったく同じ免疫型をもっていたので、その子の骨髄の一部を姉に移植した結果、姉の病気は治ったというものだ。

だがこの物語が、美しい兄弟愛として、人々の感動を誘うかといえば、そう単純ではない。生まれてきた子どもの人権が問題になるからだ。

その子は自然の摂理に従ってではなく、親の目的に従って生まれてきた。その子にとっては自分の親が神である。果たしてそれが人間の尊厳と両立するものなのか、こうした疑問を提示する人も多い。

たしかに人間の命が人間の都合によって左右されるのは、どこか異常さを感じさせる。そこでこの問題(ディレンマ)を倫理的な見地から議論したり、法的なルール作りに取り組む国もある。

イギリスは細かいルールを法律で定め、一定の場合に限って救世主兄弟の出産を許容しようとしている。一方アメリカは法的な規制には否定的で、あくまでも研究者や患者の自主規制にゆだねようとしている。どちらがよいか、にわかにはいえない。

だが少なくとも、こうした微妙な問題については、社会の中で広範な議論がなされるべきだろう。ちなみに日本ではこの問題について、いまだ議論がなされたとはいえない状況だ。






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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013
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